世田谷ポッドキャスト

ポッドキャスト、編集しすぎ?と感じたときに考えたいこと

Haseda

1986年生まれ。 フリーランスの人。 カメラと音楽をこよなく愛する都内在住者。 現在「動画編集」メインの左利き。 プライベート作品はSNSで公開中。 愛機はSONYとFenderのテレキャスター。

ポッドキャスト、編集しすぎ?と感じたときに考えたいこと

ポッドキャスト 編集 しすぎ?と感じる瞬間は、
多くの場合「もっと良くしたい」と思っている証拠です。

聞きやすくしたい。
間延びをなくしたい。
完成度を上げたい。

その気持ち自体は、とても健全です。

編集=悪ではない

まず前提として、
編集そのものが悪いわけではありません。

ノイズを取る。
音量を揃える。
明らかに不要な沈黙を切る。

これらは、聴き手への配慮です。

ポッドキャスト 編集 しすぎ?という疑問は、
「どこまでやるか」の境界線に立ったときに生まれます。

編集しすぎると起きる違和感

編集を重ねすぎると、
番組はどんどん滑らかになります。

テンポが一定になり、
沈黙が消え、
完璧に整った音になる。

ただ、その過程で
「人が話している感じ」も一緒に削られていきます。

噛んだ言葉。
言い直し。
一瞬の迷い。

それらは欠陥ではなく、
声に体温を与えている要素です。

聴きやすさと人間らしさは反比例しやすい

編集を進めるほど、
聴きやすさは上がります。

一方で、
人間らしさは下がりやすい。

ポッドキャスト 編集 しすぎ?と迷い始めたら、
「今、何を優先しているか」を一度立ち止まって考えてみるといいです。

編集は「整える」ためではなく「残す」ため

理想的な編集は、
音を作り変えることではありません。

話の芯が残るように整える。
空気が伝わるように残す。

削るための編集ではなく、
活かすための編集。

そう考えると、
どこで手を止めるべきかが見えてきます。

編集しない勇気も、選択のひとつ

すべてを完璧にしなくても、
番組は成立します。

むしろ、
少し粗さが残っているほうが、
長く聴かれることもあります。

ポッドキャスト 編集 しすぎ?と感じたとき、
それは「完成度」ではなく
「信頼」で番組を作り始めているサインかもしれません。

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声が主役なら、編集は一歩引く

ポッドキャストの主役は、
音でも技術でもなく、
話している人の声です。

編集は、その声を前に出すための裏方。

前に出すぎた瞬間、
役割は入れ替わってしまいます。

文章とは違う温度感で聞きたい方は、
声のほうも、よければ覗いてみてください。

―― 茶人時

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Haseda

1986年生まれ。 フリーランスの人。 カメラと音楽をこよなく愛する都内在住者。 現在「動画編集」メインの左利き。 プライベート作品はSNSで公開中。 愛機はSONYとFenderのテレキャスター。

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