ポッドキャストにおける「沈黙」は、失敗ではない
ポッドキャスト 沈黙と聞くと、
多くの人は「事故」や「ミス」を連想します。
間が空いた。
言葉が詰まった。
何か話さなきゃ。
でも、ポッドキャストにおける沈黙は、
必ずしも悪いものではありません。
沈黙が怖くなる理由
話している側が沈黙を怖がるのは、
「何も起きていない」と感じてしまうからです。
無音=退屈。
止まる=失敗。
そう思い込んでいると、
沈黙が生まれた瞬間に、
慌てて言葉を足してしまいます。
ポッドキャスト 沈黙が問題になるのは、
沈黙そのものではなく、
それを恐れてしまう姿勢なのかもしれません。
沈黙は「考えている時間」
言葉が止まるとき、
多くの場合、思考は止まっていません。
むしろ逆で、
言葉になる直前まで考えている時間です。
その一瞬を削ってしまうと、
話は滑らかになりますが、
深さは失われやすくなります。
聴き手は、沈黙を思っているほど気にしない
話している本人ほど、
沈黙を長く感じていることはありません。
聴き手にとっては、
ほんの一呼吸のことも多い。
それなのに、
話し手だけが「空白」を過剰に意識してしまう。
ポッドキャスト 沈黙は、
内側と外側で感じ方がまったく違います。
沈黙があると、声が際立つ
音が続いている状態よりも、
一度止まったあとの声は、
不思議と印象に残ります。
沈黙は、
次に来る言葉の輪郭を
はっきりさせる役割を持っています。
音楽で言えば、
休符のようなものです。
すべての沈黙を消す必要はない
もちろん、
不要な間や事故的な無音は編集してもいい。
ただ、
考えている沈黙、
迷っている沈黙まで消してしまうと、
番組は少しだけ嘘っぽくなります。
ポッドキャスト 沈黙をどう扱うかは、
その番組が
「人を残したいのか」
「整った音を残したいのか」
という選択でもあります。
沈黙を許すと、話は自然になる
沈黙があってもいいと分かった瞬間、
話し手は楽になります。
急がなくていい。
埋めなくていい。
その余裕が、
言葉の質を少しだけ上げてくれます。
ポッドキャストは、
常に何かを鳴らし続けるメディアではありません。
沈黙も含めて、
ひとつの声です。
文章とは違う温度感で聞きたい方は、
声のほうも、よければ覗いてみてください。
―― 茶人時